◆平寛子(たいらのひろこorさだこ)









保元3年(1158)-? 平清盛の五女。完子とも。
近衛基通関白の室。
(普賢寺関白)北政所と称される。
寿永2年(1183)に従三位に叙されるが、同年7月の平家都落ちには、京に残った基通と別れて一門と行動を共にした。
平家が壇ノ浦に滅んだ後、都へ帰京したが基通のもとへは戻らずその後の消息は不明。
その肌の美しさから衣通姫(そとおりひめ)と呼ばれていたと伝えられる。
和歌の上手でもあったという。

※衣通姫は古事記や日本書紀に登場する女性です。
その美しさは衣を通すほどだったのでこう呼ばれてます。