1996年2月
五丈原・成都1

 

回の旅で、成都の近くまで来ていながら帰国した我々は「成都行きたい病」に駆られ、3ヵ月後には再び中国の大地を踏むことになりました。
北京→西安の便が運悪く翌日の午後便になってしまったが、そのぶん北京で今まで行かなかった北エリアの観光名所に行けたのはよかった。ホテルの近くというのもよかった。ところで北京の空港へ向かうまでに既にこの旅の半分くらい分の体力を消耗した(ーー;)安い民航バスに乗ろうとしたらその乗り場がどうやっても見つからない(T.T)人に聞いても目の前を民航バスが通り過ぎてもバス停が判らない。
スーツケース転がして右往左往し…結局時間切れでタクシーで行くハメになった。でもこの件がこの後のさらなる過酷な旅のよいウォーミングアップになったのでした。



3日目、西安から長距離バスを乗り継いで再び五丈原へ向かいました。列車で行こうとしたらチケットが取れなかったので…。こういう時、バス乗り場と鉄道駅がすぐ近くなのは助かる。
高速道路が開通したので五丈原より先の宝鶏まで行き、逆に西安へ戻ってくるコースにした。宝鶏までは2時間、バスを乗り換えさらに1時間半。バスは乗り換える度にグレードが落ちてゆき、最後にはガソリン切れになり自転車より遅い速度で走っていた。しかし中国人というのは乗り降りする人に配慮しない(ーー;)混んでる奥の方から降りる人がいても決して退かないし、空いてるとこがあっても詰めようともしない(-_-メ;)よく中国の留学生が「日本の電車待ちはキチンと列を作って降りる人を待ってから乗る」ことに感動するそうだが、そりゃそうだろうと思いました。また日本の観光バス並のキレイなバスの中で親が子供にオシッコさせたのにも閉口させられた(*_*)バスが揺れる度にこっちに流れてくるんじゃっっ!!!






武侯祠へ続く田舎道









諸葛泉
馬の水呑場であったという








「五丈原諸葛亮廟」の碑







武侯祠内部





まさかこんな所に2回も来れる機会に恵まれるとは思わなかった。驚くべきことに、五丈原には日本語を話す女がいた。お陰で人民料金で拝観できなかった。
そして来た順番どおりに西安へ帰りました…。その前に宝鶏でエライ目に遭った…降ろされたところは街中だったので長距離バスターミナルを見つけるのに苦労し、そうこうしている間に日は暮れて視界は悪くなるしやっと見つけたバスターミナルには既に西安行きバスの運行は終了していた!!どうしたものかと途方に暮れていると、同じような境遇の人がいて、仕事が終わり西安に帰る係員?の車に交渉して貰い、有料で一緒に乗せて頂きました。西安に着いたのは10時近くでした。

そんな訳で「孔明さまがお亡くなりになった五丈原へ行った」という感動より「大変な思いをして行ってきた」ということの方が占めてしまった。そしてどんな田舎でもバスで行ける!ということを実感した。
この日は移動中のトイレを気にしてほとんど飲まず食わずで過ごしたので、ホテルに帰ってから茶をめいいっぱい飲んでやっと落ち着いたのでした。

そして特筆すべきことは、ここ五丈原は「美少年の宝庫」だということである(^^;)こんなド田舎に埋もれさせておくには惜しいような子を何人か見かけた。でも爪はやっぱり汚れてるんだろうなあ…(´ヘ`;)







 

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